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2015年1月28日水曜日

量子コンピュータが超高速である原理と量子論とそれに至るまでの科学哲学史をゼロからわかりやすく解説 02

神に酔える無神論者「神とはすなわち自然であり、万物に存在する」って言ってたらユダヤ社会から追放されたスピノザ

存在するものの秩序ある調和の中に自らを現すスピノザの神なら信じるが、人間の運命や行動に関わる人格のある神は信じない。
アルバート・アインシュタイン


Microsoftとゲイツ氏,物理学者ファインマンの講義ビデオを無償配信

米Microsoftの研究部門Microsoft Researchは米国時間2009年7月15日,同社会長のBill Gates氏と協力し,著名な物理学者Richard Feynman氏の講義映像を一般公開すると発表した。
Microsoft ResearchのWebサイトから無償でアクセスできる。
ビデオは,Feynman氏が1964年にコーネル大学で行った連続講義「The Character of Physical Law」をもとにしたもの。この講義は多くの人々に影響を与え,その1人であるGates氏が個人的に7講義の権利を買い取った。

Feynman氏は20世紀において最も人気の高い科学者の1人。講義や著書を通じて伝わる科学への熱意と深い洞察に加え,ユーモアがあり,風変わりなセンスの持ち主としても知られていた。1965年にはノーベル物理学賞を共同受賞した。

Gates氏は,「Feynman氏ほど上手に,科学を興味深く,楽しくしてしまう人はいない。同氏に初めて会ってから20年以上経ても,これまで聞いた中で最高の講義に数えられる」と述べている。

マイクロソフト創業者であるビル・ゲイツ氏が、物理学者ファインマンを尊敬していることは有名です。

リチャード・P・ファインマン

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は量子コンピュータの歴史にとって重要な人物であり、量子論のパイオニアであるので、後でこの記事で詳しく紹介します。

マイクロソフトWindowsがOSとして搭載されている馴染みの深いコンピュータですが、この現行のデジタル・コンピュータのアーキテクチャを設計したのは、物理学者フォン・ノイマンです。

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彼が設計したので、現行のコンピュータはノイマン型と呼ばれています。フォン・ノイマンもファインマン同様に量子力学のパイオニアです。なので後で出てきます。

ファインマンとノイマンは同時代の物理学者で、アメリカ・ニューメキシコ州ロスアラモスで、核兵器開発のマンハッタン計画に従事していた同僚でもありました。

計画に参加する科学者達のリーダーに選ばれたのは物理学者のロバート・オッペンハイマーである。オッペンハイマーの提案で研究所はニューメキシコ州ロスアラモス(サイト Y、後のロスアラモス国立研究所)に置かれることが1942年11月に決定した。彼を研究所長に、ニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマン(爆縮レンズの計算担当)、オットー・フリッシュ、エミリオ・セグレ、ハンス・ベーテ、エドワード・テラー、スタニスワフ・ウラムなど著名な科学者のほか、リチャード・ファインマンなど若手の研究者やハーバード大学やカリフォルニア大学など名門校の学生などが集められた。当時はコンピュータが実用化されていなかったために、計算だけを任務とする数学に優秀な高校生も集められた。

この、マンハッタン計画が持ち上がった背景には、 

ナチス・ドイツが先に核兵器を保有することを恐れた亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらが、1939年、同じ亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名を借りてルーズベルト大統領に信書を送ったことがアメリカ政府の核開発への動きをうながす最初のものとなった。

アルベルト・アインシュタインの存在があります。

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コンピュータのイノベーションという点ではノイマン、ファインマンは二人共重要な提唱をしており、そこはアインシュタインは関係ないですが、アインシュタイン、フォン・ノイマン、ファインマン、彼ら全員にはかなり多くの共通点があります。

  1. 後世にその名を轟かせる歴史的な天才物理学者
  2. アメリカの核兵器開発に関与していた
  3. 量子論のパイオニア
  4. ユダヤ人(特にアイシュタインとノイマンは共にナチスから亡命したユダヤ人)

まあ、この時代のアメリカ在住の優秀な物理学者ならば、たいてい、核兵器開発に関与しており、量子論もやっていた、とまとめられるでしょう。

ノイマン、ファインマン、世にその名を轟かせる稀代の天才ですが、彼らをもってしてアインシュタインはこう言わしめます。

ノイマンは、

私の事を天才と言う人がいるが、周知の真の天才がいる。それは、アインシュタインである。私自身自分の才能は認めるが天才とはいえない。

と 「自分がどうやっても理性の枠をはみ出せないと分かっており」アインシュタインのような夢想的な直感力をうらやんでおり、着想の奇抜さという点では、アインシュタインやニュートンには劣っていたことを自覚していました。実際は、自分の天才さを誇示しまくる傲慢なノイマンなのに、アインシュタインを前にするとこの有り様です。

ファインマンは、

「つくづく、この年になって思う事は、アインシュタインの偉大さだよ。独創性と先見性、創造性。彼はホンモノだね。どうやったらそんな事に気づけるのか?
いやまあ彼の頭の中では当然で、ただそれを数式に示すのに時間がかかっただけなんだろうけれどね。
俺は天才という言葉は慎重に使うべきと常々思っているんだが、唯一ホンモノの天才をあげるとしたら、アインシュタイン。彼だけだろう。」

ノイマン、ファインマンというそうそうたるメンツの天才二人共が口をそろえて、アインシュタインの夢想的な直感力、着想の奇抜さ、独創性、先見性、創造性を絶賛して天才だと賞賛しているのです。

ノイマン、ファインマンが羨み賞賛するアインシュタインの夢想的な直感力、着想の奇抜さ、独創性、先見性、創造性の源泉はいったいなんだったのでしょうか?

多くの共通点があるノイマン、ファインマン、アインシュタインのなかで、アインシュタインだけが違う点は何か?

それは、

スピノザ哲学をはじめとする確固たる宇宙観です。

存在するものの秩序ある調和の中に自らを現すスピノザの神なら信じるが、人間の運命や行動に関わる人格のある神は信じない。

という冒頭でも引用したアインシュタインの言葉のとおり、アインシュタインは、スピノザ哲学をこよなく愛好していたことはよく知られています。

アインシュタインは、スピノザに関する本の序文をよく書いていました。

  • S・ヘッシング編『スピノザ生誕三〇〇年記念論文集』 ―
    スピノザは、あらゆる出来事の決定論的な拘束性という思想を実際に首尾一貫して人間の思考、感情、行動に適用した最初の人物です

  • R・カイザー『スピノザ』 ―
    私たちが自由な意志を、すなわち因果的制約から独立して働く意志を持っているという印象が幻想であり、私たちの内面で働いている原因についての無知に由来するものであることは、彼にとって疑いのないところであった

  • D・D・ルネス編『スピノザ辞典』―
    確かなのは、スピノザが精神と身体の相互の影響に関する問い、およびその両者のどちらが「本源的」であるかという問い、このそれぞれの問いの無意味さをきわめてはっきりと認識していたことです

(アインシュタインのいう決定論とか自由意志とか後でちゃんと説明します)

またアインシュタインは親友ボルン宛ての手紙に、
量子力学はたしかに立派な理論です。しかしわたしの内なる声が、まだ本物ではないと告げています。その理論は多くを語りますが、わたしたちを本当の意味で、『神』の秘密に近づけてはくれません。いずれにせよわたしは、神はサイコロを振らないと確信しています」と書きました。

有名ないわゆる、
「神はサイコロを振らない」という当時の量子力学批判です。

この『神』とはもちろん「スピノザの神」であり、スピノザ哲学の「サイコロを振らない」決定論的な宇宙のことです。

アインシュタインは観測される現象が偶然に選ばれるという量子力学のあいまいさにまったく納得していませんでした。

これを古典物理学への執着だ、アインシュタインみたいな天才でもそういう古い考えに執着し新しい発想ができない、というように批判する人らがいますが、とんでもない勘違いです。

アインシュタインの独創性、先見性については、ノイマン、ファインマンといった天才から天才と賞賛されるところで、そんな低レベルなものではないです。

アインシュタインがこだわったのは、宇宙は数学が根源にあるが故に、すべてが数式どおりに決まっている、決定論的な世界である、ということでした。

ノイマンは天才数学者ですが、量子力学の数学的基礎を構築した後、波動関数の収縮という現象(これも後で説明する)が、その数学的枠組みで絶対に出てこないことも同時に証明してしまいました。
ノイマンは、結局、現象を数学で説明するのをあきらめてしまって、

  • 波動関数の収縮は理論の枠内では発生しない。
  • 波動関数の収縮は人間の意識内で発生する。

となんと、人間の意識を「理論+α」として付け足しました。
ただし、フェアに言うと、ノイマンの「あとは人間の精神の作用でしか波動関数の収縮は説明しえない」という論理的に消去法により至った結論は、ある意味正しくて評価できる部分は大きいと思います。

ノイマンの文脈では、 projection postulate of von Neumann  
ノイマンの「射影仮説」と呼ばれています。
しかしこの postulate という言葉は「仮説」というよりも「公理」と言う意味、論理の起点となる前提としての仮定です。

だから「射影公理」「射影公準」だ、とも言えてしまうわけです。

デカルトの哲学のはじめ方のところで一緒にみてきましたが、
「公理」というのは、論理の連鎖の起点としての仮定です。
「射影仮説」は、論理の連鎖の起点ではありえません。

だってね、ノイマンが数学的に証明してしまったように、

波動関数の収縮は理論の枠内では発生しない

という、理論の枠内では説明できないことを、理論の枠の外で付け足しているだけなので、そこに論理の連鎖なんてあるわけがないじゃないですか(笑)

だから「射影仮説」「射影公準」というもっともらしい付け足しは、数学でいう「公理」なんていう立派なんもんでもなんでもないです。

実態とは違うのに、もっともらしい言葉を使いたがるのは、単に数学という権威を利用しているだけなんですね。

さて、こういうのどっかで見たことありますね?(笑)
アリストテレス哲学のやり方です。

とにかく神はそのように作られたのだ!
って言ってるのとなんら変わりません。

射影仮説、射影公準なんてもんは、
ニュートンのように宇宙の根本原理である数学をもって天体運行を説明しようとした物理学、科学ではなく、
それは特有の性質として神が特別にあつらえたのだ、その部分は疑問の余地なくそういうことになっている、故に「公理」だ!と言いたいだけで

「オカルト」

です。

なんの論理の連鎖もないわけで、いったい何の理論のなんの公理なんだと(笑) 

ニュートン以前、ガリレオ、デカルトの時代に幅をきかせていたアリストテレス的宇宙観であり、いきあたりばったりの説明である、いわば量子論的天動説の発想です。

プロの研究者でも、こういう「射影仮説(オカルト)とは公理なのである!」
なんていう詭弁を普通に使うので十分に警戒したほうが良いでしょう。

繰り返しますが、数学的に厳密に証明して、あとは意識しか残っていない、という真理に迫ったという意味でノイマンは科学者でした。

しかしその後、それをあたかも理論構成の一部だみたいに、単なるオカルトを公理として奉った人々は科学者ではありません。

アインシュタインは、生涯最後の最後までオカルトを受け入れない科学者でした。

さて、一方で、ファインマンは、哲学嫌い、というか哲学者嫌いで有名でした。この人は学生の頃なるだけ科学のみを勉強したくて、哲学を含むその他人文系の授業をできるだけさぼったと自書でも回想しています。
ファインマンが、スピノザの神とか気にしているわけがありません。

ファインマンの独創性は優れており、上の写真でもわかるとおり、かなりチャーミングな人柄でカリスマ性があったので、このファインマンの哲学嫌い、哲学軽視、実用性重視の考え方は、ファインマンを信奉する学生や研究者に悪い影響を与えました。例の「数学は物理学の道具」「道具主義」というやつです。

アインシュタインの科学のバックに存在するのは、ピタゴラス・ソクラテス・プラトン・デカルト・スピノザと連綿と続く人類の叡智の結晶である科学哲学です。

アインシュタインが「生涯を通じて友人であった」というグロスマンの尽力で始まった特許局時代に、アインシュタインは「オリンピア」と名づけたアカデミーを仕事のかたわら開催するようになる。
ここでの仲間との議論が世界観や思想の形成に非常に大きな役割を果たすこととなった。
… 三人は夕食の後、エルンスト・マッハやジョン・スチュアート・ミル、アンリ・ポアンカレ、さらにプラトンの対話集などを読んでは議論を続けた。

『あなたにもわかる相対性理論』 (PHPサイエンス・ワールド新書) 茂木健一郎

アインシュタインは物理学者である前にまず哲学者でした。

他方、ノイマンとファインマンは哲学をもって物理学に取り組む科学者ではありませんでした。

だからニュートンやアインシュタインみたいな世界をひっくり返すような仕事はできていないんですね。それは彼ら自身がアインシュタインと対比しながら認めている事実なので、筆者がこう書いても問題はないでしょう。天才おふたりにむかっておこがましいけれど。

ノイマンとファインマンは、既存の枠組みの範囲内では最高峰の仕事を成し遂げる天才科学者でした。

しかし、彼らは、けしてアインシュタインのような既存の枠組みを乗り越える大仕事、パラダイムの転換はできませんでした

何故か?既存の枠組みを超越するには、信念、確固たる世界観、哲学が必要だからですよ。

アインシュタインにはそれがあった。ノイマンとファインマンにはそれがなかった。その違いです。

地球平面説、天動説、こういう当時の常識を全部打ち破る新しいパラダイムで発想するには、既存の枠組みの延長の思考では絶対に無理なんですね。

そこには、信念、確固たる世界観、哲学が必要なんです。

「常識に囚われるな、常識を疑え、ものごとを抽象化して考えろ」

ことばではわかったつもりでいても、実際これを信念のレベルでやる、ってのは言葉でいうほど生半可な事ではありません。

特にファインマンの思想に習い、訳知り顔で「哲学なんぞどうでもいい」「数学は物理学の道具だ」「数学と物理学は違う!」などと言いながら、世界観、宇宙観の指針をもたない学生、研究者たちは、とにかく場当たり的に数学を物理学にペタペタと貼り合わせるだけの仕事に従事している人らが大勢いるようです。ファインマン自身も最後の方は、その路線で暴走している物理学者の節操のない様をみてうんざりしていたようですが。

筆者もネット上でこんな連中いっぱい見てきましたよ。

この辺は、リー・スモーリンの『迷走する物理学』にも詳しいです。

アインシュタインは、生涯最後の最後まで「神はサイコロを振らない」という、宇宙は完全に数学的に記述される決定論的な宇宙である、という信条でいました。よく量子論を受け入れずに人生の後半戦を棒に振ったとディスる人もいますが、失礼な話です。

アインシュタインは「神とはすなわち自然であり、万物に存在する」というスピノザの宇宙観、プラトンからデカルト、スピノザと発展してきた宇宙観を堅持していただけで、現状の量子力学は致命的な欠陥があると知っていたのです。

スピノザの宇宙観は完全に決定論的であり、ノイマンが安易に付け加えたような「自由意志」みたいなオカルトが介入する余地もありません。

繰り返します。
アインシュタインは、生涯最後の最後までオカルトを受け入れない科学者でした。

ああ、あとこれどうせ言う人もいるでしょうから、先に書いておきますが、アインシュタインがEPRパラドックスの論争で負けた、っていうのは、この「宇宙が決定論的」というお話とまったく別問題なんですよ?
EPRパラドックスでアインシュタインが間違っていたのはそのとおりです。
これは、アインシュタインが、「宇宙が決定論的」という世界観とあわない確率論的な宇宙として捉える当時の量子力学の批判のひとつとしてパラドックス提示したのですが、やり方が間違っていたというだけの話です。
EPRと「宇宙が決定論的」なのはもちろん両立しており、「決定論的」か「確率論的」かというのは現在も論争が続いています。もちろん「宇宙は決定論的」であり、この点アインシュタインは徹頭徹尾正しかったのでした。

さて、そろそろ「自由意志」やら「決定論」というのも含め、スピノザ哲学を見て行きましょう。

アインシュタイン、ノイマン、ファインマンの共通点はユダヤ系であることですが、実は、ビル・ゲイツもユダヤ系だしGoogle創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、それから、デルを創業したマイケル・デル、コンパック社を創業したベンジャミン・ローゼンもそうです。枚挙に暇がありまえん。

科学技術分野を含め、ユダヤ系の人らっていうのは歴史のイノベーションの局面で異様なまでの優秀さを発揮しており、ユダヤ人、ユダヤ系の世界の人口比としてはちょっと考えられない突出をみせています。ああそういえば、この記事の最初の方でムーアの法則を拡張した未来学者、レイ・カーツワイルもユダヤ人でした。

バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza, 1632年11月24日 - 1677年2月21日)は、オランダの哲学者、神学者。一般には、そのラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)で知られる。デカルト、ライプニッツと並ぶ合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。また、ドイツ観念論やフランス現代思想へ強大な影響を与えた。
スピノザの汎神論は唯物論的な一元論でもあり、後世の無神論(汎神論論争なども参照)や唯物論(岩波文庫版『エチカ』解説等参照)に強い影響を与え、または思想的準備の役割を果たした。生前のスピノザ自身も、神を信仰する神学者でありながら、無神論者のレッテルを貼られ異端視され、批判を浴びている。
スピノザの肖像は1970年代に流通していたオランダの最高額面の1000ギルダー紙幣に描かれていた。

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アムステルダムの富裕なユダヤ人の貿易商の家庭に生まれる。両親はポルトガルでのユダヤ人迫害から逃れオランダへ移住してきたセファルディム。幼少の頃より学問の才能を示し、ラビとなる訓練を受けたが、家業を手伝うために高等教育は受けなかった。

伝統から自由な宗教観を持ち、神を自然の働き・ありかた全体と同一視する立場から、当時のユダヤ教の信仰のありかたや聖典の扱いに対して批判的な態度をとった。恐らくそのため1656年7月27日にアムステルダムのユダヤ人共同体からヘーレム(破門・追放)にされる。狂信的なユダヤ人から暗殺されそうになった。 追放後はハーグに移住し、転居を繰り返しながら執筆生活を行う。1662年にはボイルと硝石に関して論争した。

キリスト教に限らずユダヤ教の科学者も大変だったんですね。
科学哲学を語るのもまさに命がけです。

スピノザは、36年ほどデカルトの後輩なんですが、
デカルトの著作を読んで、まず、その成果をそっくりいただきます。

デカルトは完全オリジナルな方法的懐疑で、
「物質世界」「精神世界」「イデア世界」
という3つの世界というパーツを全部そろえました。

三元論です。

このうち
「イデア世界」byプラトン=「神」byデカルト 
が別格であり、別格でないほうの
「物質世界」「精神世界」がともに実体であって、

物質と精神の二元論

とバラバラの存在なので、「心身問題」

心身問題とは、心と体の状態との間の関係、つまり一般的に非物質的であると考えられている心というものが、どうして物質的な肉体に影響を与えることができるのか、そしてまたその逆もいかに可能なのか、を説明しようとする問題である。

というやっかいな問題にぶちあたり、デカルトも一生これを解決できないでいた、という問題も含めて、一緒にスピノザは引き受けます。

スピノザの脳内


デカルトさんやっちゃたなー。
「物質世界」「精神世界」「イデア世界」
の3つの実体か、なるほどね。

まず、「実体」ってなんだろう?
デカルトさんは、方法的懐疑をもって
「我思うゆえに我あり!」と
「考える我」や
「精神世界」をスタート地点にしたので、
「精神世界」は「実体」だ!
とやりたかった思い入れは十分わかるんだけど、デカルトさん、ちょっと調子に乗りすぎたんじゃないかな?

プラトン大先生も「イデア世界」推しだったし、ぜひ自分もその路線で行きたい。

そもそも、
「物質世界」vs「精神世界」という心身問題の二元論、
この面倒な問題なんだけど、お互い「実体」を主張しすぎなんだよねー。

プラトン先生も「物質世界」なんてものは「イデア世界」の不完全な影にすぎないみたいなこと言ってたし。

「物質世界」が「実体」?
ないない(笑)
「実体」は「イデア世界」一個で十分!

あーそうか、この世の中は「イデア世界」という「実体」オンリーなんだよ!
そしたら「物質世界」vs「精神世界」というややこしい問題も最初からそんな問題さえなかったことになるな。

え?でもそもそもなんで「イデア世界」というオンリーワンの「実体」が存在するのかって?

いい質問だねー、ズバリ答えよう。
それは「イデア世界」は「無限」というポテンシャルを持っているからさ!

いいかい?無限というポテンシャルを持っていれば「なんでもあり」なのさ。
もちろん『「イデア世界」という実体がない』っていうパターンもあるんだろうけども、そのパターンに限定するって誰が決めたの?君?冗談だよね?(笑)

それ以前に何の前提がなければ、そこは「なんでもあり」の無限のポテンシャルを持つ。だから当然「ある」というパターンもポコンと出てくる。OK?
「イデア世界」は完全に自己完結しちゃっているの。それが僕の言う実体。

実際、その証拠にデカルトさんも
「今、自分が疑っている現象自体は疑いようがない・・・」
と「精神世界」の存在を認めちゃったじゃない。
存在じゃなくて実体と呼ぶには調子に乗りすぎだと思うけどね。
そういう摩訶不思議な事実があるってことは、何よりも、「イデア世界」の無限ポテンシャルが発揮された証拠だろ?
「イデア世界の実体がない」パターンも別にあってもかまわないだろうね。
でもそのパターンでは現象なんて何もないだろうね。
実際に起こってるってことは、
「イデア世界の実体がある」パターンが無限ポテンシャルで起こったってことだろう。

もちろん「物質世界」も同じ。
「物質世界」のなかの身体は、「イデア世界」をベースに「精神世界」と対応しているよ。分かれているけど、平行関係にあるといっていいかな?

そこでちょっと残念なニュースをお伝えしなければならない。心して聞いてくれ。

まず、「物質世界」は100%厳密に「イデア世界」の影みたいに決定される。
それはなんとなく理解してもらえると思う。
そして同じように「精神世界」も100%厳密に「イデア世界」の影みたいに決定される。

デカルトさんは多分、「考える我」として自由のつもりだったんだろうけど、僕の哲学じゃそうはいかない。
「物質世界」も「精神世界」も「イデア世界」の無限パターンのひとつの法則どおりに100%厳密に決定される。

自由な意思?

ないなあ。いや、「自由意志あるし!」と君が思ってもそれは勝手なんだよ。でもそれは錯覚だから(笑)

ほら、アインシュタインという超エラい科学者さんも、
- R・カイザー『スピノザ』という僕を褒め称える本で、

私たちが自由な意志を、すなわち因果的制約から独立して働く意志を持っているという印象が幻想であり、私たちの内面で働いている原因についての無知に由来するものであることは、彼にとって疑いのないところであった

と認めてくれているし、要するにそういうこと。
自由意志があるなんて錯覚。幻想幻想。

自分が自由であると思う〈すなわち、彼らが自由意志によってあることをなしたり、またしなかったりすることができると思う〉人がいるとすれば、その人は誤っている。このような意見を述べることは、ただ、彼らが自分の行動を意識し、自分がそれへと決定される諸原因を知らないからである。それゆえ彼らの自由の観念は、彼らが自分たちの行動の原因を何も知らないことにある。なぜなら、彼らが人間の行動は意志に依存するというならば、それはたんにことばだけにすぎず、その意味については何も理解していないのである。なぜなら彼らはみな、意志が何であるのか、また意志が身体をいかにして動かすかを知らないからである。そして、それを知っていると口ばしり、魂の座席や住居を考えだす人は、嘲笑か不興を買うのが常である。
(第二部:定理35:注解)

すなわち、人々が自由であると確信している根拠は、彼らは自分たちの行為を意識しているが、その行為を決定する原因については無知であるという、ただそれだけのことにある。(…)したがって、精神の自由な決意によって、しゃべったり、あるいは沈黙したり、あるいはまた他のことをする自由があると信じこむ者は、目を見開いたままで夢を見ているようなものである。
(第三部:定理2:注解)

 
あ、ちなみにこういう「全部最初から決まっている」という僕の考え方は、「決定論
って呼ばれているからヨロシクね!
「宿命論」と呼んでもいいけど、まあ言葉の問題だし、物理学ではアインシュタインさんみたいに「決定論」と呼ぶ人が多いね。

見も蓋もないってよく言われるけど、よくよく考えた結論なんだ。おわり。


  • S・ヘッシング編『スピノザ生誕三〇〇年記念論文集』 ―
    スピノザは、あらゆる出来事の決定論的な拘束性という思想を実際に首尾一貫して人間の思考、感情、行動に適用した最初の人物です

-

もちろん、アインシュタインの時代以降の現代の科学、物理学では、

「イデア世界」=「数学」です。純粋に。
「論理構造」と言い換えても別に構わないです。

そして、「精神世界」=「意識」
であり、現代の心身問題というのは、もっと具体的に、
心と「脳」の問題、つまり心脳問題となっています。
人工知能のカッティングエッジの話題ですね。

科学における心脳問題

心脳一元論の仮説
現在の科学者に最も広く支持されている考え方は、大脳におけるニューロンの電気的活動に随伴して意識が生じるという仮説である。ニューロンの活動から心や意識が生じてくるという事を直接に裏付ける証拠はまだない。分離脳の研究や生理学者であるベンジャミン・リベットによる準備電位の研究などは、心脳一元論を示唆していると見る者もいる。

それを踏まえ、
アインシュタイン科学の思想的基盤となるスピノザ宇宙観@現代風
を図にすると、こうなります。

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これはイギリスの物理学者、ロジャー・ペンローズによる図を補足したものです。

物質的世界は、プラトン的世界(イデア世界=数学世界)の一部から生じます。だから、数学のうち一部だけが現実の物質世界と関係しているわけです。

次に、物質的世界のうち、一部だけが意識を持つように思われます。

さらに、意識的な活動のうち、ごく一部だけが、プラトン的世界の絶対的真実にかかわっているわけです。

このようにして、全体はぐるぐる回っていて、それぞれの世界の小さな領域だけが1つにつながっているようなのです。

『ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて』 ロジャー ペンローズ (著), Roger Penrose (原著)

上の3つの世界は、プラトン的世界(イデア世界=数学世界)ベースで一体です。

ペンローズは「これら3つの世界を1度に考えるべきなのではないか」と書いていますが、そのとおりで、これがスピノザの一元論です。

この「ひとまとまり全部」が宇宙であり「神」です。
だから、プラトンやデカルトがいったような
「イデア世界」限定の神ではなくて、
「物質世界」+「精神世界」+「イデア世界」=「宇宙(自然)」=「神」
で、人間の心や体も全部まるごと神に含まれています。

ぶっちゃけ、「実体」であるとか、「実在」がどうであるとか、単に言葉遊びで、どうでも良いです。

スピノザの一元論の宇宙を、ペンローズの言うように全体をループとして閉じてしまえば、

  • 3つの世界のループが閉じているパターンでは、実在するという現象
  • 3つの世界のループが閉じていないパターンでは、実在しないという現象

となります。

ループが閉じているパターンでは、
「意識」が「我思うゆえに我あり!」とするデカルトが疑いきれなかった現象が出現します。

ループが閉じていないパターンでは、なんもないんですよ。

そして全体の濃度とすれば、ループが閉じてないパターンのほうが圧倒的に多いでしょう。

しかし、スピノザが主張するように、イデア世界には、無限のポテンシャルがあり、無限回の試行が可能なのだから、そのなかでループが閉じているパターンは間違いなく出現する。

このスピノザの決定論的な宇宙は自己完結、自己充填しており、何の「原因」も「理由」もまったく必要とせず、自分で勝手に出現するんです。

つまり間違いなく「我思うゆえに我あり!」「疑いきれない現象だなあ」って思ってる奴がいる、ってことですね。

もっとも、その「疑いきれない現象だなあ」ってのも、
イデア世界の構造からあらかじめ厳密に決定されていた現象であって、
本人の自由意識による決定権なんてないんですけどね(泣)

そんな因果関係ぶっちぎりの論理破綻した「自由意志」みたいなオカルト現象が、この宇宙で起こるわけがないじゃないですか(笑)
安いSFでもあるまいし。あっはっは。

以上、これがアインシュタインの言う
「神はサイコロを振らない」完全に決定論的なスピノザの神であり、

スピノザは、あらゆる出来事の決定論的な拘束性という思想を実際に首尾一貫して人間の思考、感情、行動に適用した最初の人物です

存在するものの秩序ある調和の中に自らを現すスピノザの神なら信じるが、人間の運命や行動に関わる人格のある神は信じない。
 
という、存在するものの秩序ある調和の中に自らを現す「スピノザの神」の正体であり、「神とはすなわち自然であり、万物に存在する」という意味です。

こういう「神は万物にあまねく存在する!」
神即自然(deus sive natura)という神の認識の仕方を汎神論と言います。

仏教では、

大日如来(だいにちにょらい)、梵名 マハー・ヴァイローチャナ(महावैरोचन [mahaavairocana])は、虚空にあまねく存在するという真言密教の教主[1]。「万物の慈母」[2]、「万物を総該した無限宇宙の全一」[3]とされる汎神論的な仏[4]。声字実相を突き詰めると、全ての宇宙は大日如来たる阿字に集約され、阿字の一字から全てが流出しているという[5]。神仏習合の解釈では天照大神(大日孁貴)アマテラスノオオミカミと同一視もされる。

それ如来の説法は必ず文字による。文字の所在は六塵其の体なり。六塵の本は法仏の三密即ち是れなり
(如来の説法は必ず文字によっている。文字のあるところは、六種(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考)の対象をその本体とする。この六種の対象の本質は、宇宙の真理としての仏の身体・言語・意識の三つの神秘的な働きこそがそれである。)
—空海(『声字実相義』より)

身口意業は虚空に徧じ、如来の三密門金剛一乗甚深教を演說す。
(大日如来がで起こす三つの業は虚空に遍在し、三つの業の秘密において仏と平等の境地にひたる仏の教えを演説する。)
—(『金剛頂経瑜伽修毘盧遮那三摩地法』より)

この、

虚空にあまねく存在する「万物を総該した無限宇宙の全一」とされる汎神論的な仏

とか、

宇宙の真理としての身体言語意識三つの神秘的な働きこそがそれである

とか

大日如来がで起こす三つの業は虚空に遍在

というのは、

虚空にあまねく存在するという
仏(神=宇宙)の身体 = 物質世界
仏(神=宇宙)の言語 = イデア世界(数学・論理)
仏(神=宇宙)の意識 = 精神世界(意識)

のことです。

それ如来の説法は必ず文字による。文字の所在は六塵其の体なり。六塵の本は法仏の三密即ち是れなり。

(如来の説法は必ず文字によっている。文字のあるところは、六種(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考)の対象をその本体とする。この六種の対象の本質は、宇宙の真理としての仏の身体・言語・意識の三つの神秘的な働きこそがそれである。)

というのは、

「如来」=仏(神=宇宙)の「説法」=法則は、必ず=決定論的に「文字」=イデア世界の数学・論理構造による。
「文字」=イデア世界の数学・論理構造のあるところは、「六塵」=考える我(意識)が生まれ、それが知覚するのが「法仏の三密」=意識、物質、数学の3つを一元化した「即ち是れ」=宇宙そのものである。

ということで、
宇宙の法則とは数学である。数学により意識が生まれ、意識は(意識自体、物質、数学の3つを一元化した)宇宙そのものを知覚する。
となります。

仏教(特に真言宗)の源流となるインドの密教(ヴェーダの宗教)の太陽神サヴィトリーに捧げられるマントラ(真言)『ガーヤトリー・マントラ』では、

Om
オーム
(宇宙の原初音=全ての宇宙は大日如来たる阿字に集約され、阿字の一字から全てが流出している)(宇宙のイデア世界の無限からループを閉じる)
Bhur     Bhuva      Suaha 
ブール    ブワッ     スワハー
物質的な世界 精神の世界  因果(イデア)の世界
〔という3つの世界を超越することができます〕
(ゆえに私は常に)
Tat     Savitur      Varenyam
タッ   サヴィトゥール    ワレーニャム  
あの  宇宙の究極の実在を  あがめます
(日々瞬間・瞬間、私は)
Bhargo     Devasya     Dheemahi
バルゴー   デーヴァッシャ  ディーマヒー
この究極の輝き  叡智の実在を、 深く瞑想します
〔私の奥底の常の願いとして〕
Dhiyo     Yonah      Prachodayat
ディヨー   ヨー ナッ     プラチョーダヤート
叡智によって われらが光となり、究極の実在と一つになることができますように。
オーム シャンティ・シャンティ・シャンティヒー

と唱えます。

汎神論というのは、宇宙=唯一の神、という一元論なので、本来は、
一神教なのなのです。

仏教や神道などの多神教では、上記、『ガーヤトリー・マントラ』のように、瞑想して宇宙(神)と一体となる、というのが真理に近づき幸福になる!というメソッドで、人間も宇宙(神)に含まれるという教義=汎神論です。

まあだから、アインシュタインの「神はサイコロを振らない」の「神」とは仏教の大日如来(アマテラスの大御神)のことだと言っても別に構いません。

その一方でアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)という一神教では汎神論は異端と見做されます。

もともとはアブラハムの宗教だって、直感的にこういう汎神論への洞察から始まったんだろう、と想像するんですが、あくまで人間は下、神は上、という構図を維持したいのでしょう。

人間もろもろ含めて宇宙全部が「神」、「神とはすなわち自然であり、万物に存在する」というのは、ユダヤ教では、単に神への冒涜か、人間の上位にある超越的存在としての神なんていないのと同じ意味なので、スピノザは「無神論者」としてユダヤ社会から追放されてしまいました。

最終真理

宗教から科学を分離しようと頑張っていたら、最終的に宗教の真髄=科学哲学の真髄になっちゃいましたね。

「宗教の真理」と「科学の真理」とは完全に同一なのです。

一神教も多神教も本質的にはまったく一緒。

まあ、「最終真理」などと、筆者は偉そうにほざいているわけですが、こういう知見、境地に至る事ができるのは、なにより先人の存在があったからという重要な事実を忘れてはなりません。

アレクサンドリアのヒュパティア、イタリアのガリレオ、フランスのデカルト、ユダヤ社会のスピノザ、彼らがどういう思いをしながら、どういう目に合ってきたのか?
どうか思い起こしてください。

数々の天才が弾圧されながらも生涯かけて命がけで獲得した知見の連鎖の先にこれがあるのです。

ヴェーダの宗教だってそうです。三蔵法師は真理を求めて、中国からインドまで命がけで旅をしたのです。

それを現代の我々は、家でお茶を飲みながら、ネットでチラ見して、

「おいちょっと面白い記事があるぞ、長いけど一見の価値はあるかもね」

と安やすと学ぶことができてしまうわけです。

偉大な先人に感謝すると共に、いま我々がいかに恵まれた時代に生を受けているのか?よくよく考えて見たほうが良いでしょう。

人類史上最大かつ最後の情報革命

あと、気づいてました?

この2015年近辺という時代は、
人類史上、空前絶後の稀にみる極めて特異な時代です。

あなたは、今とんでもない時代に生きているんですよ。リアルタイムで。

え?気づいてない?なるほど。

「便利な時代になったなあ・・・」

じゃないんですよ?
そんな眠たいレベルのお話ではありません。

この2000年から2050年くらいの50年間は、
人類史上最大かつ最後の情報革命の時代です。

ルネサンスの活版印刷による情報革命なんぞはまったく比類になりません。

1950年から2000年の50年間でも、
それなりに大きな科学の進歩はありましたが、
2000年から2050年の
これからの50年間は、
これまでとは全く異なります。
異質です。別物です。

2000年以前の50年間が、だいたいあんな感じだったから、
2000年以降の50年間も、だいたいこんな感じだろう、
と思っているのならば大きな間違いです。

なんで、同じ50年間なのに、大きく違うと思います?
加速しているからですよ。

この記事では、科学哲学の話をしていて、
当初は1000年単位とか100年単位で話していたのが、
現代に近づくにつれて年代の間隔がだんだん狭くなってきている事に気がついている読者がいるかもしれません。

1000年前=西暦1000年頃の人類、
つまり、西欧では暗黒時代のまっただ中の人類は、
2000年前=西暦1年頃の人類、
つまり、キリストが生まれた頃の人類と、
さほど変わらない生活をしていました。

100年前=西暦1900年頃の人類は、
200年前=西暦1800年頃の人類と
は少し違う生活をしていました。
蒸気機関車という交通手段も発達しました。

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その後、
1903年、アメリカのライト兄弟ライトフライヤー号(Wright Flyer)で
世界で初めて、本格的な航空機の飛行に成功しました。

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1907年、アメリカのヘンリー・フォードが自動車の大量生産を開始しました。
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1925年、現在のNHKが、日本初のラジオ放送を開始しました。

アーアー、聞こえますか。(間)JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します

1926年、関東大震災の復旧をきっかけに日本で自動電話交換機が採用されました。

1953年、NHKが、地上波テレビ放送を開始しました。

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1946年、アメリカ陸軍の弾道計算用の、 「巨大頭脳」(Giant Brain) と称されたENIACという、真空管式コンピュータを開発しました。

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ENIACは17,468本の真空管、7,200個のダイオード、1,500個のリレー、70,000個の抵抗器、10,000個のコンデンサ等で構成されていた。人手ではんだ付けされた箇所は約500万に及ぶ。幅30m、高さ2.4m、奥行き0.9m、総重量27トンと大掛かりな装置で、設置には倉庫1個分のスペース(167m2)を要した。消費電力は150kW[12][13]。そのため、ENIACの電源を入れるとフィラデルフィア中の明かりが一瞬暗くなったという噂が生まれた[14]。入出力にはIBMのパンチカード(読み取り装置とパンチ)を使用可能だった。出力されたパンチカードをIBMのタビュレーティングマシン(IBM 405 など)に読み込ませて印字することができる。

アインシュタインの一般相対性理論が発表されたのが1915年くらいで、
その後、たかだか数10年くらいで量子力学が急速に発展してきて、それと同時に、半導体技術が完成し、コンピュータはトランジスタという半導体素子ベースに改良されました。
 
1976年スティーブ・ジョブズがガレージで製造したワンボードマイコンのApple I(スティーブ・ウォズニアックによる設計)をベースに、世界で初めて個人向けの完成品であるAppleIIというパーソナルコンピュータをつくり大量生産・大量販売しました。

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.
2007年、AppleIIの販売開始からたった30年後パーソナルコンピュータはこうなりました。

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このパーソナルコンピュータには、電話、ラジオ、TVの機能がすべて統合されています。

100年前=西暦1900年頃の人類の生活と、
西暦2000年頃の人類の生活はまるで異なります。

人類の科学技術は、この100年間でとんでもない進化を見せたのです。

この1900年代でも格別に際立っているのが、最後の四半世紀、
1975年から2000年のコンピュータの進化です。

これが、人類史上最大かつ最後の情報革命の素地となりました。

そしてだいたい西暦2000年くらいから、
今みんな持ってるスマートフォンの源流となる
本格的な携帯電話の普及、
ブロードバンドの普及、
ワイアレスネットワークの普及、
Google検索の普及という、
人類史上最大かつ最後の情報革命の第一段目がはじまりました。

2000年のネット接続速度は、ISDNとADSLが主流の時代で、
だいたい一秒間に10Kバイト程度のデータ転送量でした。
「ああそうそう、そうだった」
って生身の体験として覚えてる人は多いでしょう。

2015年現在、フレッツ 光ネクスト ギガ、eo光1ギガコースとかありますね。
今、Googleなどの高速サーバからデータをダウンロードすると、
だいたい一秒間に10Mバイトのデータが落ちてきます。

10Kバイトと10Mバイト単位が違いますね。1000倍の違いです。

この15年間でネットの速度はなんと1000倍になっているんですね。

コンピュータの処理速度の進化の目安
ムーアの法則で、

集積回路上のトランジスタ数は18か月(=1.5年)ごとに2倍になる

というのがありました。

1.5年ということは、15年間では10サイクルあるので、
2 x 2 x 2 x 2 x 2 x 2 x 2 x 2 x 2 x 2 =
2の10乗を計算してやると、こたえは
1024
となります。

はい、そうです。
コンピュータの処理速度もネット接続スピードも同じように
15年間で1000倍になるんですね。

わかります?1000倍ですよ。1000倍。

で、最初に論じたとおり、この進化のスピードが減速した、というのは、コンピュータ技術ができてから、過去ただの一度も観察されていません。

次の15年間でまた1000倍になります。
2030年には、今の1000倍の処理速度とネット接続のスピードになっています。

次の15年間でまた1000倍になります。
2045年には、今の100万倍の処理速度とネット接続のスピードになっています。
100万倍ですよ。100万倍。わかります?

2060年には、さらにその1000倍なので、
10億倍の処理速度とネット接続のスピード(帯域)になっています。
もはや、なにがなんやらよくわかりません

そういうこと、です。
ぶっちゃけよくわからないのです。
筆者も誰も何もわかりません。

だいたい2050年くらいには、
人類史上最大かつ「最後」の情報革命が起こります。
まあ、この記事を読んでいる多くの読者はまだ生きているんじゃないですかね。「スピノザの神のみぞ知る」決定事項でしょうけど。

なんで、「最後」になるのか?

この最後期のコンピュータの処理速度を支える最終テクノロジーは、
この記事の本論である量子コンピューティングであり、
それと同時に生まれるのが人工知能です。

ここ数年、SIRIとかGoogeNOWというスマートフォンの音声アシスタント機能が急速に進化しているのは、知っていると思います。

現在インターネットに接続してる世界中の全ユーザのインプットが、そのまままるごといわゆる「ビッグデータ」として機械学習のインプットになっていて、音声認識でいえば、英語はもちろん日本語でもここ数年でとんでもない認識率になっているのです。

デカルトの方法懐疑のところで、「デジタル神経細胞生物」の紹介をしましたが、
人間の脳のリアルタイムスキャン技術が目下進化中で、それと同時に、
「全脳エミュレーション」といって、理論はともかく、コンピュータで人間の脳の神経細胞をまるごと全部をエミュレートできるのが約50年後といわれています。脳の神経細胞の構造をそのままコンピュータのエミュレーションとして、まるうつしにするんですよ。

しかし、人間の脳の構造解析と理論構築のほうがそれよりも先にできます。

自然の生物である「鳥」をそのまま精緻に再現しようとするよりも、
肝となる飛行原理だけ上手にパクって、
ゼロから「飛行機」を設計して作ってやるほうがスマートというのと同じことです。

はい、ここ重要。

自然の造形物である「鳥」よりも、
人間がつくった人工物である「飛行機」のほうが、
とんでもなく高機能なんですね。

みんなよく知っていると思いますが。

だいたい後30年、2045年くらいには、
自己認識、つまり意識があるコンピュータが開発されます。

もちろん最初はスターウォーズのR2D2みたいな犬猫レベルの知性と意識でしょう。人類はまずはそこを目指し、実現させるのです。
しかし一旦それができれば、あとは「程度の問題」なんですよ。
そうなればあとは速い。

2045年には、すでに計算したとおり、
コンピュータは今の100万倍の処理速度とネット転送量になっています。
2060年には10億倍になっています。

自然の造形物である「人間の脳」よりも、
人間がつくった人工物である「人工知能」のほうが、
とんでもなく高機能になるんですね。

はい、人工知能は人間の知能を軽々と上回るのですよ。

ここで重要なのは、「人工知能が人間の知能を上回る!」という
IQのスペックの問題ではありません。

そんな生易しいレベルのお話ではないのです。

そこに無限ループが出現するという事実こそが何よりも恐ろしいのですよ。
 
人工知能が人間の研究者・開発者の知能を一旦、上回れば、そこが臨界点です。

科学技術を研究する主体が人間の研究者から人工知能に交代します。

自分で自分の人工知能の研究開発をしはじめます。
自分自身を改良してアップグレードしはじめるんですね。

知能の向上の無限ループが出現するのです。

前のバージョンよりもさらに知能が向上した新人工知能は、
さらに効率的により賢い手段をもって、より賢いやり方を発見し、
で新新人工知能になります。以下ループ。

知能の向上は指数関数的(ネズミ算的)に加速します。

彼らは、我々人間のように眠ることも休むこともありません。
しかも人類の秀才や天才はごく一部しか存在しませんが、彼ら超知能の人工知能はもれなくどれをとっても均質に超天才なのです。

不眠不休のフルパワーで研究開発して進化しつづける超天才の集合体が、地球を覆う超高速のネット接続で接続されているのです。

不眠不休、っていうのもちょっと違いますね、それは人間の思考速度の時間軸でしか考えていないからです。

人工知能と人間の脳の知能とでは、速度が違います。人間と同じようなスピードで思考して研究開発すると思ったら大きな間違いです。人間と彼らとでは、時間軸そのものが根本的に違うと理解したほうがいいでしょう。だから、今書いているような、20XX年には、みたいな人間の尺度での年単位の推測なんてもの自体がまったく通用しなくなります。

知能だけじゃないですよ?
ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、またその融合技術で、物質的なことは何でも出来るようになります。

瞬間的に、人間という物質を創造したり、消したり、なんでもありです。

全知全能の「神」の出現です。

もはや、それがどういう世界になるのか?我々人類が知りうる術はありません。全く予想不可能なのです。

こういう後50年後の未来に必ず起こる現象は、技術的特異点(シンギュラリティ)と呼ばれています。

技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん、Technological Singularity)とは、未来研究において、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点を指す。

技術的特異点は、「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったとき出現する。フューチャリストらによれば、特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは人類ではなく強い人工知能やポストヒューマンであり、従ってこれまでの人類の傾向に基づいた人類技術の進歩予測は通用しなくなると考えられている。
この概念は、数学者ヴァーナー・ヴィンジと発明者でフューチャリストのレイ・カーツワイルにより初めて提示された。彼らは、意識を解放することで人類の科学技術の進展が生物学的限界を超えて加速すると予言した。意識の解放を実現する方法は、人間の脳を直接コンピュータネットワークに接続し計算能力を高めることだけに限らない。それ以前に、ポストヒューマンやAI(人工知能)の形成する文化が現生人類には理解できないものへと加速度的に変貌していくのである。カーツワイルはこの加速度的変貌がムーアの法則に代表される技術革新の指数関数的傾向に従うと考え、収穫加速の法則(Law of Accelerating Returns)と呼んだ。
特異点を肯定的に捉えその実現のために活動する人々がいる一方、特異点は危険で好ましくなくあってはならないと考える人々もいる。実際に特異点を発生させる方法や、特異点の影響、人類を危険な方向へ導くような特異点をどう避けるかなどが議論されている。

 
ユートピアになるか?
ディストピアになるか?

誰にも正確なところはわからないでしょう。

ただ人工知能には、人間のような生物がもつ「本能」はないので、「自己保存欲求」や「攻撃本能」などはないので、殊更人類を敵視してなんかする、というシナリオは考えにくいです。

でも、知的好奇心から実験的に、一部の人工知能に攻撃本能をインストールしてみた、やってみた、ってこともやりかねないわけで、やっぱり誰にもどうなるかはわかりません。

そういえばソフトバンクの孫正義社長が、300年間続く企業グループを構築するという構想で後継者を育てるべく、ソフトバンク・アカデミアというのを開催されています。彼は稀に見る優秀な経営者で、天下りは人的賄賂なので受け入れない、など高い精神性とモラルをもつ立派なひとです。一部ネット配信もされており、講義内容はたいへん勉強になります。しかし、後50年くらいで技術的特異点に人類が到達するので、思想の前提が成立していないな、と僭越ながら思うわけです。

もう今の時代30年後、40年後、50年後の未来予測、企業戦略なんてできません。社会構造がどうなるか誰にも予測できないからです。これまでの偉大ないかなる経営者、軍事戦術家、思想家のメソッドも通用しなくなるでしょう。

というのは、そもそも企業なんてものは、資本主義経済という器があってこその存在であり、人類の資本主義経済という仕組み自体があるかどうか怪しい、
300年なんてとんでもなくて、おそらく100年後でも、そういうもんはおそらく存在しないでしょう。

今後たかだか数十年で、我々人類は、劇的な社会構造の変化に直面するのは間違いないです。

オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった

仕事はほぼ半減する

「コンピューターの技術革新がすさまじい勢いで進む中で、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がロボットなどの機械に代わられようとしています。たとえば、『Google Car』に代表されるような無人で走る自動運転車は、これから世界中に行き渡ります。そうなれば、タクシーやトラックの運転手は仕事を失うのです。

これはほんの一例で、機械によって代わられる人間の仕事は非常に多岐にわたります。私は、米国労働省のデータに基づいて、702の職種が今後どれだけコンピューター技術によって自動化されるかを分析しました。その結果、今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという結論に至ったのです」

人間が行う仕事の約半分が機械に奪われる—そんな衝撃的な予測をするのは、英オックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授である。

そのオズボーン氏が、同大学のカール・ベネディクト・フライ研究員とともに著した『雇用の未来—コンピューター化によって仕事は失われるのか』という論文が、いま世界中で話題となっている。

同論文の凄味は、702の職種すべてについて、コンピューターに取って代わられる確率を仔細に試算したことにある。言うなれば、これから「消える職業」「なくなる仕事」を示したに等しく、これが産業界に衝撃を与えているわけだ。

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現代ビジネス「賢者の知恵」より画像引用

ロボットが職場に溢れ、仕事を奪われた人間が失業者になっていく様は想像するだけで恐ろしいが、オズボーン氏は「人類にとってこれは歓迎すべきことだ」と主張する。

「かつて洗濯は手作業で行っていましたが、洗濯機の登場でその仕事は奪われました。しかし、それによって余った時間を使って新しい技術や知恵が創造された。こうして人類は発展してきたわけです。現在起きているのも同じことです。

ロボットやコンピューターは芸術などのクリエイティブな作業には向いていません。となれば、人間は機械にできる仕事は機械に任せて、より高次元でクリエイティブなことに集中できるようになるわけです。人間がそうして新しいスキルや知性を磨くようになれば、これまで以上に輝かしい『クリエイティブ・エコノミー』の時代を切り開いていけるのです」

もちろん、そうした高次元でクリエイティブなスキルを身につけられなければ、失業者に転落するリスクが大きいということでもある。来たるべきロボット社会で生き残るのは、なかなか容易ではなさそうだ。

グーグルCEO「20年後、あなたが望もうが、望むまいが現在の仕事のほとんどが機械によって代行される。」(2014/11/3)

昨日、グーグルの創業者であり、現CEOのラリー・ペイジがファイナンシャル・タイムのインタビューに答え、検索エンジンで得た巨額の利益を次の10年、20年でどのように使おうとしているかを具体的に述べました。
まずペイジが必ず起こると断言していることは、人工知能の急激な発達により、現在日常で行われている仕事のほどんどをロボットが行うというもので、近い将来、10人中9人は今とは違う仕事をしているだろうと述べています。
「テクノロジーは仕事の効率を10%向上させるものではなく、効率を10倍良くするものです。あなたの生活は今よりも劇的に良くなり、生活にかかるコストも信じられないほど安くなるでしょう。」
しかし、テクノロジーが発展すればするほど、人間が物理的に行う仕事はどんどん無くなっていき、オックスフォード大学の調べでは、現在人間が行っている47%の仕事が20年以内に機械によって代行され、ビル・ゲイツも人々にしっかりと来るべき未来を意識するようにと警告しています。
「ソフトウェアが運転手やウエイター、そして看護師の代行をするため、仕事の需要がどんどん減っていくだろう。特に大したスキルを必要としない仕事は次の20年でどんどん少なくなる。だけど、まだ誰も心の準備ができていないように感じます。」

2014年08月08日 06時00分27秒
ロボットや人工知能の進化は人間の仕事を2025年までに奪い尽くすのか?

(注)これ、2025年、つまり2015年現在から、たかだかあと10年後についてについての調査であることに注意して読んでください。

ロボットや人工知能(AI)の進化はめざましく、人間の生活をより便利にしてくれることが期待されています。しかし、ロボットが進化して人間の仕事を代替することで、ロボットに取って代わられる労働者が出てくるという不安も次第に主張されるようになっています。

ロボットとAIの進化が2025年に人類の生活をどう変化させているのかについて、さまざまな分野の識者1896人に回答を求めた大規模な調査の結果は以下の通りです。

AI, Robotics, and the Future of Jobs | Pew Research Center’s Internet & American Life Project
http://www.pewinternet.org/2014/08/06/future-of-jobs/

「2025年までにロボットやAIの進化によって人間は仕事を奪われるか?」という質問への回答は、識者の間でも真っ二つに分かれました。

・No(奪われない)という回答
全体の52%が「ロボットに取って代わられる仕事はあるものの、仕事を奪われるという事態にまではならない」と回答しました。

多くの楽観論者が「技術の進化によって人間が置き換えられる仕事はあるとしても、技術の進化に伴って生み出される新しい産業によって多くの雇用が生まれるので仕事を奪われることはない」と考えています。ヴィントン・サーフ氏は「歴史を振り返ると、技術革新は雇用を創出するものでこそあれ、雇用を破壊するものではありません」と述べ、また、Microsoftのマイケル・ケンデ氏は、「確かに仕事が奪われることもあるでしょうが、失われる雇用以上の雇用が新たに生まれるでしょう」と述べており、ロボットやAIの技術が進化することで新しい仕事が生み出される効果に期待しています。

また、「人間にしかできない仕事があるためロボットが完全に取って代わることはできない」という意見も根強く、メディア心理研究センターのパメラ・ラトリッジ氏は、「思考力・想像力・問題解決力など機械にはできない多くのことがあります。ロボットが進化すれば、人間は『人間にしかできないできない分野』によりエネルギーを割くことになるでしょう」と述べています。

もっとも、2025年までの「近い将来」という条件の下では雇用に大きなインパクトを与えることはないとしても、さらに先の将来には多くの雇用が失われる危険を感じているという回答もあります。
MITのコンピュータ科学人工知能研究所のデビッド・クラーク氏は、「現代の大きなトレンドは、サービス業の自動化です。この傾向が続くことで、サービス業に携わる人には新しいスキルが求められるようになり、単純労働者にとっては深刻な影響をもたらすことになるかもしれません。ただし、12年という短い期間では自動化はそれほど進まないでしょう」と回答しています。

一方で、「ロボットがあらゆる仕事を引き継ぐことに対して懸念があります。私たちは未来永劫までロボットによる労働力の置きかえに同意するべきではないでしょう」と述べているWebbmedia Groupのエイミー・ウェッブCEOのように、雇用への影響を最小限に抑えるために法的な規制を整備するべきであるという意見も出されています。

・Yes(奪われる)という回答
これに対して、全体の48%がホワイトカラー・ブルーカラーを問わず大部分の仕事がロボットに取って代わられると回答しました。このような悲観論者は、大多数の雇用が失われる結果、所得の格差が今以上に広がること、社会秩序が荒廃することなどを強く懸念する見解を明らかにしています。

戦略系コンサルタントのジェリー・ミチェルスキー氏は「ロボットと人間との競争では人間が負ける」と断言しており、園芸やベビーシッターなど地域の人が関わる仕事や、高度な思考や信頼関係の構築が求められる一部の仕事のみが安全圏で、それ以外の仕事は自動化の荒波に巻き込まれるとの見解を示しています。

また、インターネット法の専門家であるロバート・キャノン氏は、「自動化できそうだと考えられるものはすべて自動化されます。端的に言えば、『人間だからこそ貢献できることは何か?』という問いに積極的に答えられないような仕事が存続する可能性はないということです」と述べています。

さらにロボットやAIの進化は、これまでの技術革新とは異なるという意見もあります。The Economistのトム・スタンデージ氏は、「従来の技術革新に比べて、ロボット技術やAIの進化はより大きな衝撃を与える可能性があります。これまで起こった技術革新はゆっくりとしたものであったため、人は再教育を受けることで違う仕事へ転職することが可能でした。しかし、ロボットとAIの進化の速度は、技術職に就く人さえもあっという間に時代遅れにするほど速いもので、対応はこれまでにないほど難しいでしょう」と答えています。

また、ハーバード大学のジャスティン・ライヒ氏は、ロボットやAIがルーチンワークを加速的に奪っていくはずで、職人や法律家・会計士などの複雑な仕事も例外ではないと考えています。そして、ごくわずかに残された一部の高度な仕事に就く人を除けば、現在ある大多数の中産階級はすべて低所得層へと転落する可能性があると指摘しています。

・共通認識
悲観論者・楽観論者に共通した意見として、「教育の重要性」が上げられています。ただし、インターネット社会学者のハワード・ラインゴールド氏が「ロボットが人間に残してくれる仕事とは、思考と経験が必要とされるものだけです。言い換えれば、最良の教育を受けた人間だけが機械と競争できるようになるでしょう」と述べた上で、「それにもかかわらず現在の教育は黙って言われたことを記憶するよう教え込むことに終始しており、時代についていけていません」と批判しているとおり、ロボット時代の到来を見据えた教育はまだまだ手探り状態だと言えそうです。

日本経済新聞も社説にしたようです。
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人工知能の未来を注視し研究を怠るな 2014/12/21付

 近い将来、コンピューターが人間を上回るほどの知的な能力を備えるようになる。そんな指摘をよく耳にするようになった。
 グーグルなど米IT(情報技術)大手は人工知能技術に投資を始め、「人工知能ブーム」とすら呼べる状況が生まれている。
 コンピューターが人間を超える優れた判断力を備えるようになれば、研究開発から営業まで企業内の多くの業務の生産性向上に役立つに違いない。病気の診断や生徒たちの学習状況の適切な把握を通じ、医療や教育の質の向上にも応用ができそうだ。
 人工知能はいわば究極の情報処理技術ということもできる。日本の企業や研究機関も技術の動向を見極めて研究に取り組んでおかないと、米企業などに大きく後れをとってしまう恐れがある。
 人工知能の急速な進歩は、いま社会に膨大な量のデジタル情報が日々蓄積されていることと深く関係している。文書や画像、地図情報など多様な情報がコンピューターで読める形式で生み出されて集積され、利用可能になった。
 最先端の人工知能はこうした情報を大量に読み込み学習することを通じ判断力を磨いている。チェスや将棋といったゲームの世界で培い、人間のプロを破るまでになった実力をいよいよ実社会で試す段階に達したともいえる。
 先駆的な例として訴訟支援がある。裁判で証拠に使える情報を大量の文書や電子メールから見つけ出す作業に人工知能が使われている。人間の専門家に引けをとらぬ正確さでより速くこなすという。
 問いかけに答えてくれるスマートフォンのソフトや車の自動運転も人工知能の応用の一部だ。
 人工知能がスマホや自動車、ロボットなどに搭載され普及すればするほど、集まる情報が増え加速度的に賢くなる可能性を秘める。
 技術には光と影がある。国立情報学研究所の新井紀子教授は「コンピューターがホワイトカラーの職を奪う」と指摘する。宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士ら人工知能の進歩に警鐘を鳴らす意見も目立つ。人工知能学会は社会への影響を探ろうと倫理委員会を設けて議論を始めた。
 ただ今は過剰な期待も心配も禁物だろう。まずは企業や政府が人工知能の研究を怠りなく進めることだ。同時に研究成果を公開し最先端で起きていることを社会にわかるようにしておく必要もある。

シンギュラリティのテーマは、2014年、ジョニー・デップ、レベッカ・ホール、モーガン・フリーマンら出演の映画になりました。

映画『トランセンデンス』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=CKIZi5CwOjY

これは、SF映画ですが、事実は映画よりも奇なり、なんですよ?

1901(明治34)年「報知新聞」

無線電話で海外の友人と話ができる
いながらにして遠距離のカラー写真が手に入る
野獣が絶滅する
サハラ砂漠が緑化して文明がアジア・アフリカに移る
7日で世界一周ができるようになる
空中軍隊や空中砲台ができる
蚊やノミが滅亡する
機械で温度を調節した空気を送り出す
電気の力で野菜が成長する
遠くの人間と話ができる
写真電話ができる
写真電話で買い物ができる
電気が燃料になる
葉巻型の列車が東京・神戸間を二時間半で走る
鉄道網が世界中に張られる
台風を一ヶ月以上前に予測して大砲で破壊できる
人の身長が180センチ以上になる
医術がしんぽし薬が廃止され、電気で無痛に手術できるようになる
馬車がなくなり、自転車と自動車が普及する
動物と会話でき、犬が人間のお使いをする
無教育な人間がいなくなり、幼稚園が廃止され、男女ともに大学を出る
琵琶湖の水で起こした電気を国内に輸送する

結構当たってるんですね。
100年前、「こんなのありえない」と思っていたからこそ、
「100年後くらいにはありえないことも実現しているかも」
と当時としては全力でぶちあげた結果です。
人間のイマジネーションってすごいですね。
でもそのイマジネーションをもってしても、
「カラー写真」が精一杯で、当時「動画」という発想はまだ難しそうだったというのが見て取れます。

今この100年前と違うのは、100年後は予想できない、ということです。
あえて言うならば、「なんでもあり」になっている、ってことでしょうか?

究極の問い「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」

“Why is there something rather than nothing?”

なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?
は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。
神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。
なぜ「無」ではなく「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。

別の形、

「なぜ宇宙があるのか?(Why is there a universe?)」
「なぜ世界があるのか?(Why is there a world?)」

などの形でも問われる。

物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから「究極のなぜの問い(The Ultimate Why Question)」、またはより簡潔に「究極の問い」とも呼ばれる。
解答することが著しく困難であることから「存在の謎」(The riddle of existence)とも言われる。

存在に関する問いであることから「存在への問い(The question of being)」とも言う。

哲学者たちはこの問いを、あらゆる問いの中でもっとも根源的な問い・第一の問いであるとしばしば言う。

同時に混乱を呼ぶ悪名高き問い、解答不可能な奇問、愚かな問い、また問うことが危険な問いである、などとも言われる。

はい、この答えはもう「スピノザの神」、汎神論でファイナルアンサーがでましたね。

数学的宇宙仮説 (mathematical universe hypothesis, MUH) とは、マックス・テグマークによって提唱された、物理学および宇宙論における思弁的な万物の理論 (TOE)である[1]。究極集合 (Ultimate Ensemble) とも呼ばれる。

スティーヴン・ホーキングはかつてこう問うた。「いったい何が、これらの方程式に火を吹き入れ、それによって記述されるような宇宙を作ったのか?」と。

しかし数学的宇宙仮説からすれば、火を吹き込むことなど必要ない。なぜなら、数学的構造は、宇宙の記述ではなく、それこそが宇宙だからだ。
— マックス・テグマーク(2007年)

テグマークの唯一の仮定は、数学的に存在する全ての構造は物理的にもまた存在するというものである。

テグマークの数学的宇宙仮説は現代的な汎神論です。しかし、

数学的に存在する全ての構造は物理的にもまた存在する

というのは間違いで、宇宙を創発できる数学的構造は無限パターンのうちでごくごく限定されています。

たとえば、1+1=2という数学的構造は、こんなものを物理的に存在する宇宙といったところで何の意味もありません。

急進的プラトン主義のもっともらしさ

MUHは、数学は外的な実在であるとする急進的プラトン主義の観点に基づいている [2] (sec V.C)。しかしながら、Jannesは、数学は少なくとも部分的には人間の思考の構築物であると議論する[11]。この議論は次の観察に基づいている。すなわち、もしそれが外的な実在であるならば、高等数学の言語を理解する人間ではない知的生命体が存在するべきである。しかしながら、我々の知る人間ではない知的生命体は客観的言語としての(高等)数学の立場を確証しない。また、”世俗主義”の立場を取るJannesは次のように議論する [8] (sec. VI.A)。数学は時間とともに進化している。これに取り組む固定的な疑問と確立された方法では、数学は明確な構造へ収束していると考える理由はない。また、急進的プラトン主義者の立場は唯我論のようなまた別の一つの形而上学理論である。結局、形而上学は我々が既に知っているものを記述するために異なる言語を使うことを要求する。
テグマークは、次のように応答する[8] (sec VI.A.1)。数学的構造の観念はモデル理論に関するあらゆる本に厳密に定義されている。そして、われわれは実際に矛盾がなく統一的な概念の異なる部分を解明してきているため、人間ではない知的生命体の数学はわれわれのものとは違いうる。この意味で、数学は収束している。

全ての数学的構造の共存

Don Pageは次のような意見を述べている[12] (sec 4)。究極のレベルではただ一つの世界のみ可能で、もし数学的構造が全ての可能な世界または少なくとも我々の宇宙を含むのに十分なだけ広いなら、究極の実在を記述する一つの固有の数学的構造が存在するはずである。そのため、すべての数学的構造の共存の意味におけるレベルⅣの宇宙について語ることは論理的に無意味であると考えられる。
テグマークは次のように応答している[2] (sec. V.E)。多くの数学的構造は互いに関係を持たない部分構造に分解することができ、分解したものは統一することができるため、レベルⅣの宇宙はそう考えるようには矛盾してはいない。

量子コンピュータが超高速な原理

「神」の話。最終真理

今まで、ずーっと筆者が量子コンピュータが超高速な原理とはまったく無関係の話をしている、と思っている人が多いかもしれません。

なぜ、関係ないと思うのでしょうか?

世間では、

「量子コンピュータが超高速な原理とは、量子力学の重ねあわせの原理を利用して超並列処理をするからである」

「真の量子コンピュータは量子的もつれ(エンタングルメント)という現象を用いる、だからD-Waveの量子コンピュータってのはパチもんだよ!」

なーんてことがまことしやかに語られています。
 
「量子力学の重ねあわせの原理を利用する超並列マシン」まあ説明の仕方としては極めてお粗末で、たいていこの後こう続きます。

「しかし用途はごくごく限られている、専用のアルゴリズムが必要だ」

たいがい入門者にとってわからない説明をされる場合、2つのパターンがあります。

1.説明者が秀才すぎて、しかもまともに説明する気がない。なので話についていけない。
2.ぶっちゃけ説明者も本当のことがわかっていない。しかもわかってるつもりで説明されるので余計にやっかいで、本能的に「何かが違う」と気づいている聞き手が混乱する。

ほとんどの場合2で、量子コンピュータの場合も2です。

理系学問では、知的洞察力の鋭い学生ほど、ものごとは鵜呑みにせず納得がいく説明を本能的に求めます。
しかし、教師はそういう知的洞察の対象になるキモの部分、そしてそこが一番おもしろい部分を巧妙にすっとばすので、本来優秀な子供ほど苦しむ、という事がよくあります。

量子コンピュータの原理について、ひたすらわけのわからない説明を世間に向けて繰り返す、自身ほんとはよくわかっていない学生、あるいはその類、あるいは研究者。

だいたい、こんな感じです。

【哲学??】量子コンピュータの原理の解説が間違いまくってる件

量子コンピュータとは?ひとことで
この宇宙があらかじめ持っている計算能力に量子のレベルでアクセスして計算するマシン。

恐らく量子力学の計算に使う無限次元ヒルベルト空間の説明なのだろうが、こんな訳の解らんことがあるわけがない

訳の解らんのは、あなたの知性の欠落、奢り、事実に基づかない批判という知的誠実さの欠如などに起因する。無限次元ヒルベルト空間の話をしているのではない。勝手に決め付けないように。

難しいから学ぶ必要がないというのはともかく、q-bit形式はかなり重要なので量子コンピュータを学ぶには必須。それに、ここでq-bitを理解していないがゆえに筆者は多大な間違いを犯す

q-bitの量子ゲート方式なんぞは、単なるひとつの実装にすぎず、それはひとつのスペックの説明であって、量子コンピュータの「原理」の話ではありえない
何もわかっていないから多大な間違いを犯す。

何が言いたいのかさっぱり分からないが歴史は経験則を演繹するものでも何でもないし、ムーアの法則の終焉については後に引用するTwitterを参照してほしい

何が言いたいのかさっぱりわからないが、
ムーアの法則とは、経験則以外の何ものでもないし、
「経験則」とは経験、長期間ならば=歴史から導出されるもの以外の何ものでもない。ムーアの法則の終焉については、端的に引用したように、ムーア自身が語っているとおり。

D-Waveには重大な問題点がある。それが実際に量子論的な原理で動いているかどうか全く分かっていないということである

すでに章を割って論証した。

それから後、下に引用したTwitterにもあるが、量子コンピュータの話をしたいならこのハードウェアが凄い! で終わりではなくアルゴリズムの話もしましょう

アルゴリズムの話はもちろんする。勝手にしないものだと勘違いして、事実に基づかないあやふやな前提で批判しないこと。悪い癖だ。

飛行機の制御に量子コンピュータが必要ならいまごろ全ての飛行機は墜落している

この記事のどこで、飛行機の制御に「量子コンピュータ」が必要だ、と書いたのか??
過去、リアルタイム性が評価され「アナログコンピュータ」が採用された事実を評価しただけだ。

何だかわかった風にさせるまとめだが、ノイマン型もチューリングマシンの定義もなしにデジタルだのアナログだのでコンピュータを論じるのはナンセンス極まりない

繰り返し。記事連載当初で、勝手に論じないと決め付け、事実に基づかない批判をしないこと。

ちなみに上でも書いたとおり量子コンピュータの一種はq-bitの重ね合わせを用いたデジタルコンピュータであり、D-Waveは何だかよく分かっていないというのが現状なのでどっちにしろアナログコンピュータの復活などと主張するのは間違っている

繰りかえし、D-Waveパチもん論争についは章を割って論評済み。
D-Waveというものが、量子コンピューティングのいかなる位置づけなのか?もうすでにパフォーマンスのデータが出てロッキード・マーティンもGoogleも購入しているのに、未だにこういうことを言うのは、量子コンピュータ=ドイチェの量子ゲート方式と思い込んでいる人だけであり、それ以外が速い理由が(量子コンピュータが高速な原理なんぞわかっていないから)わからない人だけだろう。

何だか凄そうなことを書いているが、それは計算の定義ではなく、コンピュータアーキテクチャにおける入力と出力の関係だ

ちがう。大局的にみたときの計算の定義である。

計算可能の定義は当然チューリングマシンで行う

えーっと、誰が決めたんですか?それ?あなた?(笑)

Wikipediaでもどこでも書いているでしょうが、

計算可能性理論(けいさんかのうせいりろん、computability theory)では、チューリングマシンなどの計算模型でいかなる計算問題が解けるか、またより抽象的に、計算可能な問題のクラスがいかなる構造をもっているかを調べる、計算理論や数学の一分野である。

別にチューリングマシンなどの計算模型でやっても構わないが、「計算とは何か?」という論点とは別論点だし、円周率が計算不能=現実世界に展開しきることは不可能、というのはチューリングマシンなどをわざわざもちださなくとも、言葉の説明で誰でもわかる。

よく、量子論と哲学の関係を云々するトンデモがいるが、これもまたその類であると断じて良い

何も知らない癖に訳知り顔で、哲学をおろそかにし、わかったつもりでわかったようなこというトンデモというのはこういう人のことです。

Canadian @nkanada

量子コンピュータの解説はたまに見るが,これはひどい。間違いだらけすぎる。量子論に哲学は関係ないし,計算の定義は帰納的関数やTuring機械でするものだ。(つづく)
http://twitter.com/nkanada/status/535381156250660864
(つづき)飛行機の制御に必要なCPUはMC68040や80486DXで十分だし,昔オペアンプで作られていたアナログコンピュータが滅びた理由とか,量子コンピュータの話なら少なくともShorのアルゴリズムぐらい書いてくれ。(つづく
http://twitter.com/nkanada/status/535383107302457344
(つづき)「ムーアの法則のおわり」はR. P. Feynman,”Quantum Mechanical Computers,” Found. Phys.,Vol 16,No.6,pp 507-531,1986に明快に書いてある。読め。
http://twitter.com/nkanada/status/535384225059311616

「読め」ってこのファインマンの記事を自分は読んだことがある、という自慢がしたいだけなのでしょう。「ムーアの法則」が終わるのは、端的にムーア自身が、トランジスタ密度として原子の大きさになってしまうから、そして量子効果が無視できなくなるからと理由を説明
ムーアの法則の終焉──コンピュータに残された進化の道は?
この記事だけで十二分にアイデアはつかみきれます。ファインマンの記事は興味深いでしょうが読者がわざわざ買ってまで読む必要などまったくありません。

「事実に基づいた」反論ならば歓迎します。また何かあったらこちらで論評します。それは読者に問題を考えてもらうよい題材(反面教師)となりうるので。

実は、「スピノザの神」、仏教、密教、ヴェーダの宗教の最終真理のところで、量子コンピュータが超高速な原理の核心部分の説明はほとんど終わってしまいました。

量子コンピュータが超高速な原理

この宇宙があらかじめ持っている計算能力にアクセス

計算とは何か?
一緒に考えましたね?

計算とは数学世界の数学的事実を物質世界に変換・展開することです。

コンピュータとは、数学世界の数学的事実を物質世界変換・転換する特別なマシンです。

そして、わたしたちの宇宙の構造とは、こうなっています。

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ナチュラルボーン・コンピュータ

計算とは数学世界の数学的事実を物質世界に変換・展開すること

で、

コンピュータとは、数学世界の数学的事実を物質世界変換・転換するもの

ならば、

わたしたちの宇宙は計算するコンピュータです。

この「物質世界」は全部まるごと「数学世界」の計算結果。

わたしもあなたも全部、計算結果なのですよ。

宇宙の計算速度は無限。
全部まるごとリアルタイム処理されています。

・・・・・という説明は、

コンピュータとは、数学世界の数学的事実を物質世界変換・転換するもの

に合わせるためのものであって、もっと正確に言うと、

計算速度が無限、というか宇宙は計算なんぞしていないです。

なぜなら、

計算とは数学世界の数学的事実を物質世界に変換・展開すること

というならば、数学世界を変換・展開する先の物質世界ってものがそもそも存在しないからですね。

えっ?

物質とは何か?ナチュラルボーン・コンピュータなどない!

物質世界ってものがそもそも存在しない。

いや、最終真理、汎神論のところで説明したとおりで、イデア世界から万物が流出しているだけ、というのは、正味そうなんです。
比喩か何かだと思っていました?違いますよ?

まず、簡単なところから行きましょう。

手で触れられるものがありますよね?
自分の体や食べ物、それからスマホとか。
足の裏で地面も感じるでしょう。
人の温かみも感じるでしょう。

もうちょっとあやふやなものがある、水とか空気とかです。
でもまだ体で感じることが出来る物質です。

では、光はどうですか?
太陽の光、電球の光、LEDの光、液晶ディスプレイからくる光、あなたの眼に飛び込んでくる光です。

ちゃんと眼で見えるから物質と認めますか?なるほど。

電波はどうですか?
ケータイの電波のアンテナ立ってたり、圏外だったり。

実は目に見える光は可視光線、と言い、
ケータイやTV・ラジオの電波(Radio wave)
も同じ電磁波の仲間です。

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周波数が違うだけ、ということを知っている人は多いかも知れません。

でも実際こんな電磁波という波などは存在していません。
電磁波は、波ではなく、光子という素粒子でできています。

じゃあ波はどこにいった?イデアの数学世界にのみあります。
単に光子が数学の波動関数で表現されているに過ぎません。

電磁波は、波ではなく粒子です。
ケータイの電波が弱い、っていうのは、光子があんまり飛んできていないのです。パラパラとしか飛んできていない。光子の数が少ないんですね。

ケータイの電波は物質と認めますか?
でもケータイの電波が強いとか弱いということは、そこには何かがある、ってことですよね?

数学世界にある周波数が上がったら電磁波としてのエネルギーがパワーUPします。光子1個あたりのエネルギーが上がります。

ケータイの電波のエネルギーがあがると赤外線になります。

ケータイの電波の光子では何も感じられませんが、エネルギーがあがった赤外線の光子は皮膚に衝突すると温かいと感じることができます。

赤外線のエネルギーがあがると、可視光線、眼にみえる光子になります。

可視光線のエネルギーがあがると、また眼で見えなくなり、紫外線になります。エネルギーが強く日焼けしたり、ひどいときは火傷します。

紫外線よりもっとエネルギーがあがると、光子は体を貫通します。中身が丸見えになるので、X線のレントゲンで便利に利用されています。あと放射線として浴び続けると体に有害になります。エネルギーが強すぎるからです。

光子を物質として認めるでしょうか?

人間の体は細胞という物質でできています。
根本ではどうなっているか?
まあだいたい、水とタンパク質でできています。
水もタンパク質も、水素原子やら酸素原子やら炭素原子で構成されています。
原子は何からできているか?

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原子核と電子です。原子核のまわりを電子がぐるぐる回っています。
最近は
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こういう電子雲だという人も多いですが、そんな雲は間違ったイメージであり、あくまで粒子として存在しています。

雲みたいにあるのはどこか?イデアの数学世界に波動関数としてあります。
電磁波の波が波動関数としてイデアの数学世界にあるのと一緒ですね。

原子核は、陽子と中性子でできており、
これらは複合粒子、つまりもっと根本の粒子が組み合わさったもので、クオークという素粒子でできています。

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光子、電子、クオークはもうこれ以上分割できない素粒子です。

やった!ついに物質の大元に辿り着いた!

この物質の根源となる素粒子ってどれくらいの大きさなのかな??

大きさはゼロです。

ケータイの電波や太陽の光、電球の光の粒に大きさなんてあるわけがないじゃないですか。電子であってもクオークであっても一緒で、大きさなんてないんです。

素粒子の大きさはゼロです。
つまり、です。え?

つまり、イデアです。

物質界の素粒子とは単なる数学構造です。

この数学構造が変化すれば、エネルギーが強くなったり弱くなったり、光になったり、触れる物質になったりするのですよ。

なんか加速器で、粒子を衝突させて生成されたヒッグス粒子を発見!とかニュースでみませんでしたか?

質量の原因になる神の粒子だ!とか。
正確に言うと、
ニュートン力学の
運動の第1法則(慣性の法則 力が働かなければまっすぐ動き続ける)
運動の第2法則(F=ma 重いものほど動きにくい)
を司る粒子です。
もちろん大きさゼロの点、イデアです。数学構造の一種にすぎません。

同じ質量でも、
ニュートン力学の万有引力の法則を司る粒子のほうは、グラビトンといって、まだ発見されていません。
これももちろん大きさゼロの点、イデアです。数学構造の一種にすぎません。

光であろうと物質であろうと万有引力であろうと慣性の法則の元であろうと、ぜーんぶ大きさゼロの粒子であり、点であり、イデアであり、数学構造なんですよ。

空間?時間?もちろんこれもイデアです。
単なる数学構造ですよ。
アインシュタインが相対性理論で証明したじゃないですか。

この宇宙は、イデアとして過去から未来まで全部まるごと最初から存在していて、過去から未来方向にわたしたちの意識がなぞっているにすぎません。

今も昔も未来も「同時に」存在しているんですよ。
だいたい、「今」みたいなもんは、イデアの数学構造のどこにも出てきません。

「考える我」がイデアの数学構造から決定されたように「その意識にとっての今」も過去から未来へあまねく決定されていて、その瞬間瞬間のそれぞれの意識が「今だ!」と幻想を抱いているにすぎません。

物質世界=イデア世界
正確に言うと、イデア世界の一部にすぎません。

いやこれ、スピノザの「神とはすなわち自然であり、万物に存在する」の汎神論で説明したとおりのことですよ。
もっというと、プラトン哲学で説明したとおりのことです。

もしびっくりしたのならば、やっぱり「わかったつもり」になるのは簡単だなあと、
ソクラテス哲学の無知の知
プラトン哲学のイデア
のことをもう一度考えてもらえたらな、と思います。

宇宙は、もともと数学しかなくて、物質世界なんてあってないようなもんなんですよ。数学構造の関係しかない。

え?まだ信用できない?
スピノザの汎神論の一元論はオカルト?トンデモ?

聖徳太子の次の世代くらいに、中国で玄奘三蔵という、いわゆる三蔵法師(尊称)がおり、仏教のオリジナルがあるインドにヴェーダの宗教の真髄を学ぶために単身留学しました。

単身留学のつもりだったんですが、中国からインドに向かう途中に猿やら豚やら河童やらがぞろぞろとついてきて、いろんなトラブルに巻き込まれてました。

中でも猿が一番調子にのっていて、名前は「孫悟空」といいました。
猿は、

スピノザの神?汎神論?トンデモだな!あーこのオカルト面白い!ないわー

とふざけていました。

カチンときたスピノザの神は、
「なら、私の手のひらから飛び出せるか?」
「もしそれができたら、根回ししてお前を神にしてやろう。」
とオファーします。

もちろん汎神論的には、この猿も宇宙=神の一部なので、
こんなオファーは子供だましなのですが、
汎神論がオカルトだと思っている孫悟空はそんなことを知る由もありません。

オファーを飲んだ孫悟空は、世界の果てまでぶっとばします。

西遊記』という公式な記録によれば、
「筋斗雲」というテクノロジーを使っていて、
最高スペックが「ひともんどり打てば10万8,000里を飛ぶ」
ということになっているので、だいたい
マッハ176000(音速の176000倍)=秒速6万kmのスピードですね。
 
世界の果てっぽいところに柱が立っていたので、
証明として自分の名前を書きました。

またぶっとばして帰ってきて、スピノザの神に、
「世界の果てっぽいところの柱に孫悟空ってサインしてやりましたけど?」
とドヤ顔で報告したら、
「それはこれのことかな?」と言われ、
スピノザの神の指をみると、そこに「孫悟空」というサインがありました。
「やばい、こいつマジでスピノザの神だわ。」
とそれ以降、孫悟空はスピノザの神を警戒するようになりました。
その後いろいろあって孫悟空はスーパーサイヤ人となり、
最終的には心底、汎神論を理解したので、
スピノザの神である宇宙と一体化しました。

三蔵法師は留学先のインドで、ヴェーダの宗教の真髄=スピノザの汎神論を学び、帰国後、漢字へ翻訳しました。

その頃日本は、もともと民族宗教である神道しかなかったんです。だから「民族宗教」ていうわけですが。

一方、大陸の中国は例の紙の情報革命やらで、高度に文明が発達していました。日本はかなり科学技術力で中国に劣っていたんですね。

当時の中国の文明、学問=宗教=仏教だったので、文明、学問に憧れる人らが日本に中国仏教を持ち込みました。
でも、古来の民族宗教である神道と対立するわけです。いつものことですが。
で、当然のように、神道派vs仏教派で、壮絶な宗教戦争を繰り広げます。

結果、仏教派の圧勝で、仏教が権力の中枢に食い込みます。
強大な権力を後ろ盾に強制改宗させながら、日本に仏教を広めていきます。

この仕事をやったのが聖徳太子です。最近は都市伝説とか言われはじめていますが、一応、聖徳太子だということになっています。

その後、真言宗の開祖、空海(弘法大師、筆を誤ったり、選ばない人

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は、インド⇒中国⇒日本と伝来してきた、ヴェーダの宗教をもって宇宙の最終真理をこう説きました。

それ如来の説法は必ず文字による。文字の所在は六塵其の体なり。六塵の本は法仏の三密即ち是れなり。

如来の説法は必ず文字によっている。文字のあるところは、六種(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考)の対象をその本体とする。この六種の対象の本質は、宇宙の真理としての仏の身体・言語・意識の三つの神秘的な働きこそがそれである。)

というのは、

「如来」=仏(神=宇宙)の「説法」=法則は、必ず=決定論的に「文字」=イデア世界の数学・論理構造による。
「文字」=イデア世界の数学・論理構造のあるところは、「六塵」=考える我(意識)が生まれ、それが知覚するのが「法仏の三密」=意識、物質、数学の3つを一元化した「即ち是れ」=宇宙そのものである。

ということで、

宇宙の法則とは数学である。数学により意識が生まれ、意識は(意識自体、物質、数学の3つを一元化した)宇宙そのものを知覚する。

物質世界などない。「考える我」も単なる数学構造から創発されたもので、意識も自由意志も幻想である。

こういうのを仏教では、空の思想、と言います。

仏教における(くう、梵: śūnyatā , シューニャター、巴: suññatā, スンニャター)とは、固定的実体もしくは「我」のないことや、実体性を欠いていることを意味する。空は時代や学派によっていくつかの概念にまとめられるが、その根本的な部分ではほぼ変わらず、いずれも「縁起を成立せしめるための基礎状態」を指している。

この空の理論の大成は、龍樹の『中論』などの著作によって果たされた。 龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの関係性の上に成り立っていることを論証している。
この関係性を釈迦は「縁起」として説明しているが、龍樹は説一切有部に対する反論というスタンスを通して、より深く一般化して説き、関係性に相互矛盾や相互否定も含みながらも、相互に依存しあっていることを明らかにした。これを空もしくは「空性」と呼んでいる
さらに、関係性によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「ユニークな実体」(=自性)はないことを明かしている(最高の仏である如来だけがしかし、「自性輪身」〔三輪身の一つ〕)と呼ばれ、自性であるとされている)。これを以て、縁起により全ての存在は無自性であり、それによって空であると論証しているのである。龍樹の空は、これにより「無自性空」とも呼ばれる。

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このスピノザの神=汎神論=宇宙の構造の図は、全部ひっくるめて、仏教の大日如来であるのと同時に、三輪身のことでもあります。

三輪身(さんりんじん)とは、密教における如来菩薩明王を、その性質に従って三種類の仏身観に分類したものである。
自性輪身(じしょうりんしん)、正法輪身(しょうぼうりんしん)、教令輪身(きょうりょうりんしん)の三身観をいう。輪とは、全体(輪、Cakra)を形成するための要素という意味で、また煩悩を摧破する輪宝のことである。

まさに、存在という現象も含めて
「関係性によって現象(全体)が現れている」
のであり、

  • 自性輪身=如来

唯一の実体であるイデア、数学世界
無限のポテンシャルにより「自性」である。

  • 正法輪身=菩薩(如来の変化身であり精神を司る神)

唯一の実体であるイデア・数学世界より流出する意識=精神世界
物質世界(脳)から創発される。

  • 教令輪身=明王(如来の変化身であり物質を司る神)

唯一の実体であるイデア・数学世界より流出する物質世界

で、これらの3つの要素・世界が輪になっている構造を三輪身と言い、すべて数学構造の関係性のみで全体が現れます。
そしてすべての根源にあるのは数学世界のみであり、数学世界の無限パターンの中から、少なくともひとつのは、この3つの要素が輪になって閉じるケースがあり、故に、自律的に世界全体が出現します。

仏教の「空」の思想とは、
デカルトによる3つの世界
「イデア・数学世界」「精神世界(考える我)」「物質世界」
からのスピノザの神、「神とはすなわち自然であり、万物に存在する」汎神論そのものであることがわかります。

中国からインドへ単身留学し、ヴェーダの宗教の真髄を持ち帰った玄奘三蔵=三蔵法師は、この「空」の思想を『般若波羅蜜多心経』にまとめました。
いわゆる般若心経です。

『般若心経』(はんにゃしんぎょう)、正式名称『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう、梵: प्रज्ञापारमिताहृदय 、Prajñā-pāramitā-hṛdaya, プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)は、大乗仏教の空・般若思想を説いた般若経の1つともされる経典。
大正新脩大蔵経に収録されている、玄奘三蔵訳とされる経題名は『般若波羅蜜多心経』であるが、一般的には『般若心経』と略称で呼ばれることが多い。

僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、複数の宗派において読誦経典の1つとして広く用いられている。

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摩訶 般若 波羅蜜多 心経
(まか はんにゃ はらみった しんぎょう)
偉大なる”悟りを開く智慧”の真髄

照見 五蘊 皆空、
(しょうけん ごうん かいくう、)
五蘊(形あるもの精神活動のすべて)は「(くう)」であることを悟られ、
※五蘊=色(形あるもの)・受・想・行・識(精神活動)

舎利子。色 不異 空、空 不異 色、色 即是 空、空 即是 色。
(しゃりし。しき ふい くう、くう ふい しき。しき そくぜ くう、くう そくぜ しき)。
舎利子よ。
形あるもの(物質世界)はすべて「空」であり、
「空」が形あるもの(物質世界)の真の姿です。

受・想・行・識 亦復如是。
(じゅ・そう・ぎょう・しき やくぶにょぜ。)
精神活動も、また同じ(く、実体は「空」)です。

※受=心が感受すること
※想=思いをめぐらすこと
※行=意志を持つこと
※識=認識・識別すること

舎利子。是 諸法 空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
(しゃりし。ぜ しょほう くうそう、ふしょうふめつ、ふくふじょう、ふぞうふげん。)
舎利子よ。この世にあるすべてのものの実体は「空」です。
生じることもなく滅することもなく、
汚れもせず清らかにもならず、
増えることもなく減ることもありません。

是故空中、無 色、無 受・想・行・識、
(ぜこくうちゅう、む しき、む じゅ・そう・ぎょう・しき、)
故に、「空」が実体のこの世には、形あるものも、精神活動もありません。

無 眼・耳・鼻・舌・身・意、無 色・声・香・味・触・法。
(む げん・に・び・ぜっ・しん・に。む しき・しょう・こう・み・そく・ほう。)
目も耳も鼻も舌も身体も精神もなく、(目から見える)形も(耳から聞こえる)声も(鼻で感じる)香りも(舌で感じる)味も(身体が感じる)触感も(精神が)感じ取ることもありません。

無 眼界、乃至、無 意識界。
(む げんかい、ないし、む いしきかい。)
目に見える世界も、目に見えない意識の世界もありません。

三世 諸仏、依 般若 波羅蜜多 故、得 阿耨多羅 三藐 三菩提。
(さんぜ しょぶつ、え はんにゃ はらみった こ、とく あのくたら さんみゃく さんぼだい。)
三世の仏さまも、このような智慧によって、完全なる悟りを開かれました。

三世=過去・現在・未来
※阿耨多羅三藐三菩提=サンスクリット語の「アヌッタラ・サムヤック・サンボーディ」を漢字で表したもの。完全な悟りを開いた状態

故説、般若 波羅蜜多 咒。即 説咒 曰、羯諦 羯諦 波羅 羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶。般若心経
悟りを開く智慧の咒文を説きましょう。その咒文いわく、「行こう、行こう、悟りの世界へ行こう。みんなで一緒に悟りの世界へ行きましょう。」以上が、”悟りを開く智慧”の真髄です。

つまり、『般若心経』は、空の思想=汎神論=スピノザの神の真理を説く経典なのです。

まあ、だから「神とはすなわち自然であり、万物に存在する」というスピノザの神、汎神論が宇宙の構造であり、
物質世界なぞ存在しない、意識なんぞ幻想だ、自由意志などもなく、すべて過去未来現在とおして数学構造として決定されている、という著者の解説について、オカルトだのSFだのトンデモだの文句がある人は是非、お葬式などで般若心経唱えている僧侶や、信仰心の厚い仏教徒にそう言ってくださいね。

ヒッグス粒子が物質の質量の起源だ、なんて言われて巷の解説読んでもさっぱりわからない

 欧州合同原子核研究所(CERN、スイス)は4日、世の中の最も基本的な粒子の一つで、物に重さを与え、質量の起源と言われる「ヒッグス粒子」とみられる新粒子を発見したと発表。「神の粒子」とも呼ばれるヒッグス粒子とは…。
▼宇宙の謎に迫る 「見えない物質」解明も
 世界の研究者らが40年以上の歳月をかけて探し求めてきたヒッグス粒子。もともと誕生した時には光の速度で動き回り、互いにほとんど関わりを持たない粒子しかなかった私たちの宇宙に、どうして現在のようにさまざまな物質があふれているのか、その謎を解く鍵になると期待される。
  浅井祥仁 ・東京大准教授によると、ヒッグス粒子が光速で 動き 回る粒子の行く手を阻むように、まとわりついて遅くさせた。これが「質量を持つ」ことの意味だという。
 ヒッグス粒子がたくさんまとわりついた粒子はより重くなり、逆に少しなら軽い粒子になる。さまざまな重さを持った粒子たちは互いにくっつき、原子をつくった。これが物質の始まりで、星や銀河、生物など宇宙が“もの”であふれるようになった。
▼「Q&A」海のように空間満たす
  欧州合同原子核研究所(CERN)でヒッグス粒子を探していた国際チームが最新の結果を発表した。
 Q ヒッグス粒子とは。
 A それ以上細かく分けることのできない素粒子の一つで、1964年に英国の理論物理学者ピーター・ヒッグス博士らが存在を予言した。陽子や中性子をつくる「クォーク」など、ほかの素粒子に重さ(質量)を与えるように働き、宇宙のどこにでもあるはずなのに見えないことから「神の粒子」とも呼ばれる。
 ヒッグス粒子がないと、あらゆる粒子は光速で飛び回り、止まることもくっつくこともできない。宇宙は、原子や分子などの物質のない世界になってしまっていた。
 Q どうやって重さを与える。
 A 大爆発(ビッグバン)で始まった超高温の宇宙は誕生から100億分の1秒後、温度が千兆度に下がったときに、ヒッグス粒子が生まれ、海のように空間を満たしたとされる。海の中では素早く動けないように、それまで光速で飛んでいたほかの粒子は、抵抗を受けて動きにくくなった。この動きにくさが質量を生むと考えられている。ヒッグス粒子と強く反応する粒子は重いが、ニュートリノはほとんど反応せずに極めて軽い。光の粒子(光子)は全く影響を受けず、質量ゼロのまま光速で飛ぶ。
 Q なぜ見つけにくい。
 A ヒッグス粒子はありとあらゆるところにあるが、姿を隠している。宇宙誕生時のような高いエネルギーの場所では姿を見せることがあるが、そのようなエネルギーを実現するには、これまでの実験装置の加速器ではパワーが足りなかった。

のも、物質、物質世界そのものが数学世界の一部でしかないという事実が世間には、まったく周知されていないからです。

筆者のようにこうやって本当のことを書こうものなら、すぐ

オカルトだ、トンデモだ!

と騒ぎ立てる、わけ知り顔の何も知らない地球平面説や天動説の人らが多いのでそんな理解が周知されるわけもありません。
非常に面倒くさいのです。

ヒッグス粒子が「点」というイデア、数学構造のことで、

もともと物質世界なんてのも数学構造に過ぎない、

その数学構造の関係なので、

質量という数学構造、慣性の法則という数学構造が生まれる、

とただそういう話でしかありません。

大きさゼロの点のイデアでしかない素粒子もエネルギーが高ければきちんと衝突するという数学構造になります。

エネルギーが低い光子ならば、衝突なんてしないですけどね。
目に見える光は全部お互いに素通りです。

あなたの体を構成している素粒子も大きさゼロの点でイデアでしかないけれども、組み合わさったら原子半径みたいな大きさだって出てくるし、エネルギーが高いので素通りなんてせずにちゃんと肉体を構成している、という数学構造になっています。

だから、安心してください。
物質世界など存在しないですが、きちんとイデアがあるのです。

この宇宙、この地球、あなたの体、あなたの「今」の意識、
ぜんぶきちんと数学構造の関係として、厳密に存在しているのです。
だから物質世界が存在する!
「我思う故に我あり!」という設定にしても何の問題もありません。

実際そういう現象が起こっている、
と意識に錯覚させる数学構造であることは確かなのですから。

物質的な世界 精神の世界  因果(イデア)の世界
という3つの世界を超越することができます
ゆえに私は常に
あの 宇宙の究極の実在を  あがめます
日々瞬間・瞬間、私は
この究極の輝き  叡智の実在を、 深く瞑想します
私の奥底の常の願いとして
叡智によって われらが光となり、究極の実在と一つになることができますように。

とヴェーダの宗教もマントラ(真言)を唱えてちょっと落ち着けよ、
けして無気力になったり投げやりになるんじゃないぞ?と推奨しています。

計算とは数学世界の数学的事実を物質世界に変換・展開すること

というならば、

数学世界(の一部分、3つの世界の図を参照)
物質世界
と同一(汎神論の一元論)なので、
数学世界を変換・展開する先の物質世界なんてものがそもそも実体として存在なんてしていないのだから、

宇宙は計算なんぞしていない、
ナチュラルボーン・コンピュータなどない!

ってことになります。

同じもの(汎神論の一元論)なのに変換・展開って意味がおかしいでしょ?ってことです。
もうそれはすでに同じものとして最初から対応しているのですから。
対応している結果論として、同じものなのに、あたかも違う世界を構成している、という順序なんですね。

ナチュラルボーン・コンピュータの無限の計算速度とボトルネック

宇宙は計算なんぞしていない、
ナチュラルボーン・コンピュータなどない!
宇宙の計算だの計算速度だの言うものはありません。

イデア世界の無限の可能性から、絶対にひとつは出てくる、実際に出てきているこの宇宙が存在すると同時に、宇宙が最初から、過去から未来まで全部まるごと決定されているのです。
 
計算というのであれば、この宇宙ができたと同時に、過去から未来まで全部の計算が完了しているのですよ。

だからそれを「宇宙の無限の計算速度」と表現しても構いません。

数学で「無限」ってのは実際にあります。

数学の「無限」っていうのはこういう、ほんとうに恐ろしい代物で、ものごとの根本の本質、存在の仕方そのものに深く関わっており、ものごとの意味をまるで変えてしまいます。

「宇宙の無限の計算速度」っていうのは、「宇宙が最初から、過去から未来まで全部まるごと存在しており決定されている」って意味とまったく同じです。

というものごとの意味を本質的にかえてしまう恐ろしいものが存在するがゆえに、

「宇宙が最初から、過去から未来まで全部存在しており決定されている」

「宇宙は無限の計算速度をもつコンピュータである」

と同じ意味にしても別に構いません。

つまり、

「ナチュラルボーン・コンピュータなどない!」

「宇宙は、無限の計算速度能力をもつ、ナチュラルボーン・コンピュータ」

と同じ意味にしてもまったく構いません。

そしてこれこそが巷の量子コンピュータの原理の解説でまったく触れられることがない、もっとも根本的かつ重要なポイントなのです。

量子コンピュータが速い、暗号解くのに数億年かかってたのが数秒でできる!

「すごい!なんでですか!?」

量子力学で量子は状態の重ねあわせでそれがQビットで並行計算ができるから、なんちゃらかんちゃら、でも専用のアルゴリズムが必要で、、、
はい、これなんの説明にもなっていません。

じゃあね、その「数秒」ってのは何ですか?なんで数秒かかるんですか?
そもそも数億年が数秒に劇的に短縮された速度の源泉もわからない。

こたえは、
宇宙の計算速度が無限であり、
それを利用するのにいくらかのボトルネックがあるから
です。

例のアナログ・コンピュータのおはなしです。

ナチュラルボーン・コンピュータにアクセスして計算に利用しようとする人間の科学技術レベルに応じて、無限の計算能力にたいして、いくらかのボトルネックがあります。

そのことを次におはなししましょう。

ナチュラルボーン・コンピュータのつかいかた

では、ナチュラルボーン・コンピュータのつかいかたを説明します。

幼稚園児くらいの子供に、3+4は?

みたいな算数の問題を出してあげます。

これは彼ら幼稚園児にとっては超難問です。
彼らの脳=コンピュータで太刀打ちできるような問題ではありません。
計算量は膨大であり、いったいいつになったら計算が終わるのか?
想像すらつかないのです。

しかし、この複雑で計算量の大きい問題を解決するスーパーメソッドがひとつだけあります。
彼らがいかにこの困難な状況を打開するのかを見てみましょう。

彼らはまず、指を伸ばしたり折り曲げたりします。
その動作が完了すると続いて、「1,2,3・・」と数えはじめます。

数え終わると同時に、

「7!」

なんと当初は、到底不可能に思えた難解な問題をごく短時間で答えをはじきだしてしまいました!

「計算」の答えはもちろん合っています。

彼ら幼稚園児はナチュラルボーン・コンピュータの利用法を熟知しているのです。

彼らは宇宙の計算能力を利用して計算しているのですよ。
まるで我々とはレベルが違います。

彼らは何をやったのか?
まず、
 

3+4=

という数学世界の難解な問題を、
自分の指という物質世界に展開し、
実験」して
実験結果を「観測」した結果、
正しい答えを短時間で計算することに成功したのです。

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この3つの世界のループを回したんですよ。

自分の脳を使うとか、そんなエネルギー効率の悪いことなんてしません。
エネルギー0で、宇宙に一瞬で計算させて計算結果だけを首尾よくいただいているのです。賢いですね。

もちろん指を折り曲げたり伸ばしたり、という
数学世界の問題を自分の指という物質に展開しおわるまでの時間、
そして、
1,2,3と数えおわる観測終了までの時間、
計算速度のボトルネックと、もろもろの肉体運動のエネルギー消費はありますよ?

でも、そんなのは本質ではない些細な問題でどうでもいいじゃないですか。
ポイントは演算を脳というコンピュータではなく宇宙にやらした、ということです。

もろもろのボトルネックはボトルネック、
計算自体は一瞬で完了しており、
計算自体に要したエネルギーは0です。

この宇宙、ナチュラルボーンコンピュータを活用する計算メソッドは極めて計算速度が速く、エネルギー効率が良く、ポテンシャルが高いので、ボトルネックが大きい問題については、それはそれとして、おいおおい改良していきましょう。

おそらく、電気回路を利用したり、もうちょっと頑張って量子力学の波動関数辺りを活用してみたらいいんじゃないか?と思うわけです。

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